今年も7月13日にお盆のつどいを開催いたします。
当日は本堂での勤行・法話の後、おやつ(あんみつ)とビデオ上映等を行いますので、ぜひご参詣ください。
2025年7月13日(日)
14:00 集合
14:10 勤行 正信念仏偈
14:40 法話 当山住職
15:30 おやつ(あんみつ)
15:50 ビデオ上映
16:20 散会
新宿区愛住町にある真宗大谷派の寺院
今年も7月13日にお盆のつどいを開催いたします。
当日は本堂での勤行・法話の後、おやつ(あんみつ)とビデオ上映等を行いますので、ぜひご参詣ください。
2025年7月13日(日)
14:00 集合
14:10 勤行 正信念仏偈
14:40 法話 当山住職
15:30 おやつ(あんみつ)
15:50 ビデオ上映
16:20 散会
私が仏教を学ぶのではなく
仏教に私を学ぶのです
ー東京教区法語ポスター2019よりー
仏教を学ぶのか、仏教に学ぶのか…
似ているようでまったく違うお言葉です。
一番の違いは「私」の立ち位置でしょう。
私たちはいつでも「私」中心の考え方をしています。
自分自身のことは何でも知っている「つもり」になっていますが、それは自分が見たい自分の虚像なのかも知れません。
仏法とはそんな自分中心の私を知らしめてくださるご縁だと思います。思いもしなかった自分の一面に気付かせてくれる大切なご縁です。それは見たくなかった嫌な自分かも知れませんが、いつでも私中心の生き方している人間の課題を問い直してくれるのだと思います。
浄土は言葉がいらない世界
人間は言葉が必要な世界
地獄は言葉が通じない世界
「地獄」と聞くと、何か死後の世界のように思われるかも知れませんが、浄土真宗では死後の世界ではなく、今を生きている私たちの問題として見ています。
「獄」という漢字は、「犭」(けものへん)と「犬」(いぬ)の間に「言」(いう)で成り立っています。
2匹の「けもの」と「言」という字が組み合わさって、議論や争いから派生して「囚われの場所」「牢屋」という意味を表わしているそうです。
獣であらわされる言葉の通じない関係性は、私たち人間でもしばしば起こりえます。
お互いに自分の都合や言い分ばかりを主張して言い争い、最終的には戦争などの痛ましいことまで生み出しかねない私たち。
そのように考えると地獄は死後の世界の問題ではなく、今の私たちが地獄を生み出しかねない根っこを持った存在として見ているのです。
だからこそお互いを思いやり、言葉をもって相互理解が必要なのではないでしょうか?
浄土は言葉のいらない世界。
そんな関係性をいただくために、仏教は人間の根本的な問題を指摘してくださっているのだと思います。
念仏を 喜ぶ家には 春の風
常にそよぐ 心地こそすれ
早いものでもう5月となりました。
新緑の季節ということでお寺の境内の木々も心なしか嬉しそうな陽気となりました。
お念仏とは「南無阿弥陀仏」です。これは「ナーモアミダブッダ」というお釈迦さまの時代のインドの言葉の音写であると言われています。さまざまな翻訳があろうかと思いますが、私は「私の迷いの根が照らし出される」という訳がしっくり来ております。
私たちは常に自分の都合ばかりで生きていますが、そのように生きている私の本質が阿弥陀如来の教えによって照らし出されてくるのです。念仏は亡き方々への慰霊鎮魂ではなく亡き方々が縁となって、この私の生き様を問うてくれる機縁となってくれているのだと思います。
新緑の風のようなさわやかな心をいただけることこそ、念仏の大きなはたらきなのではないでしょうか。