4月の法語

明日ありと 思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは

(明日があると思っていても、夜中に嵐が来て桜も散ってしまうこともあるかもしれません)

この和歌は親鸞聖人が9才の時に慈鎮和尚のもとで得度(お坊さんになる儀式)をされた際に、詠まれた歌といわれています。
得度をするために慈鎮和尚のもとに到着したのが夕刻過ぎであったことから、「今日はもう遅いので儀式は明日にしましょう」と言われた幼き親鸞聖人はこの和歌で詠まれました。
その熱意にこたえて、慈鎮和尚はその日に得度の儀をされましたと伝えらえています。

明日があると思って大事なことをないがしろにしていると、夜中に嵐が来て桜も散ってしまうこともあります。日々は常に変化していくので、その瞬間を大切にしていきたいものです。

2025年春季彼岸会

春のお彼岸の御中日に、春季彼岸会永代経法要をお勤めいたします。
当日は本堂での勤行・法話の後、お斎(昼食)とビデオ上映等を行いますので、ぜひご参詣ください。

2025年3月20日(春分の日)

11:00 集合
11:15 永代経法要 正信念仏偈
11:50 法話 当山住職
13:00 お斎(昼食)
13:30 ビデオ上映
14:10 散会

なお、お彼岸中は本堂前にて花まつり(お釈迦さまの誕生祭)の花御堂を設置いたします。
どなたでも甘茶かけをできますので、墓参の際には本堂にお立ち寄りください。

3月の法語

仏事とは
亡き人を仏様として
出遇い直す
場所と時間である

いのち終えられた方々は私たちは心の中にいらっしゃいます
さまざまな思い出の中で、亡き人との出遇い直すことから
今の私の生き様が問われてくるのでしょう
出遇い(であい)とは、たまたま巡り合えた喜びに用いられる漢字です

仏事とは、亡き人が稀有なご縁となって私を照らし出してくれる場所と時間と言えます

2月の法語

ウソは雪だるま
 長く転がすほど
  大きくなる

私も耳の痛い話です。
はじめから大きなウソをつくつもりがなくても、日常のちょっとした言い訳が雪だるま式に大きくなってしまうこともあるでしょう。
いつでも言い訳をせずに、まっすぐに生きて行きたいものです。